♪夫との離婚を夢見る兼業主婦の雑記ブログ♪

~最終タイミングは熟年離婚!~

~嬉しいことたくさん!!(#^.^#)④~

 

Rからのゆうパックの中は、「衣類」ではなかった。

 

 



中に入っていたのは、子供へのモノでもなかった。

 

可愛い封筒と便箋で丁寧に書かれたRからの手紙と

白い鹿の刺繍が施された赤い小さなお守り、

おいしそうなほうじ茶と可愛くて上質なふきんだった。

 

私は、このプレゼントの意味をうまく理解できず

丁寧に書かれた可愛いRからの手紙を読んだ。

 

 

~~~Rからの手紙~~~

 

「先日は、久しぶりに 顔見て話せて、とても楽しかった💕

長男君と次男君も見れて嬉しかったです(*^_^*)ありがとう。」

「長男君と次男君を見て、自分の子供が2才の時、赤ちゃんだった時を思い返してみたよ。

K(Rの長女ちゃん 現在小学生中学年)もH(Rの長男ちゃん 現在小学1年生)も まだ小さい時、奈良までよく来てくれたね。

Kをおんぶしてヴァイオリンとピアノで練習したこともあったね。」

 

・・・そう。

よくよく覚えてる。

ついこないだのことのように覚えてる。

 

Rは音大の同級生であり、私の実技試験の伴奏を4年間引き受けてくれた頼もしい私のピアニストだ。

遠い長崎県から関西の大学に出てきて、大学の寮に入っていた。

私は実は通える範囲の場所に実家があったのだが、家庭の事情により同じ寮に入っていた。

Rは私の伴奏者でもあり、大学と寮でも勉強から遊び、年中イベントとたくさんの楽しい時間を過ごした大切な友人だった。

初めて接点を持ったのが、同じ寮の親睦会だったのか授業が同じだったのか。。

なんだったのか今では思い出せない。

でも音楽科の高校3年間、ピアノ伴奏者の確保に苦労した私に

(みな自分の実技優先。特に楽器の伴奏は歌と違い、オーケストラをピアノバージョンにしたものが多くかなり難しい。練習に時間を割かねばならない為、敬遠されていた。)

 

Rは私がヴァイオリン専攻だと知ると、

顔を輝かせ

「私に伴奏させて!!」

と自ら伴奏を引き受けてくれた。

ピアノ専攻の先生にはいろんな先生がいて、個人練習がおろそかになると考えてピアノ伴奏をすすめない先生もいた。

Rの先生も基本的にはすすめていなかったみたいだが、弦楽器の伴奏は勉強になるからいいと言っていたと聞いた。

今から考えれば、Rはもともとヴァイオリンに興味があったのだ。

Rの妹ちゃんも趣味でヴァイオリンを習っていたし、

Rの長女ちゃんもヴァイオリンを習っている。

 

Rがそう言ってくれた時、私は本当に本当に嬉しかった!!!

今から大学4年間、度々ある実技試験のたびに伴奏者を探しまくらないといけない覚悟をしていたからだ。

私がお願いする前にRから伴奏させてほしいと言ってくれたのだ!!!

その時のすごく嬉しかった気持ちは今もずっと鮮明に覚えている。

 

それから大学4年間苦楽をともにし、卒業試験まで一度も伴奏者を変えることなく

Rとともに乗り切った。

卒業後、Rは20代で職場結婚

当時勤めていた医療事務で知り合った研修員だったカウンセラーの旦那様と相思相愛になり、そのまま結婚した。

よく出かけた大阪の梅田の地下のパフェ屋さんで、当時は彼氏だった旦那様との馴れ初めを聞いた時のことを今でも覚えている。

当時私は初めての彼氏と付き合っていた頃だ。

Rはモンブラン系のパフェを頼んだが、運んでこられたパフェはモンブラン部分が、

なんだか汚らしく飛び散って崩れており、

Rがそれを見てショックを受けていたw

私は一瞬吹き出すも、本気でショックを受けていたRを慰めたw

(今なら店員呼んで取り換えてもらう対処をしようものだが、当時はそういう感じではなかった)

Rは少し恥ずかしそうに、そして嬉しそうにしながら当時彼氏だった旦那様との出会いや付き合い出したことを話してくれた。

だいだい付き合うことになる場合、どちらかが好きでモーションをかけたりアタックしたりということが多いが、

Rの場合は、Rも旦那さまもどちらも好意が募り旦那様からのデートのお誘いをきっかけに発展したというまさに相思相愛の関係!!

馴れ初めを話すRが本当に幸せそうで本当に可愛かった。

結婚式は奈良ホテル

大きなウエディングケーキでの盛大な披露宴。

小柄だけどスタイル抜群のRは、きれいにアップにした黒髪に輝く美しいティアラ。

小さなちょうちん袖に美しいウエストライン。

綺麗に広がるAラインのドレスの裾・・・

愛する旦那様の横でキラキラ輝く笑顔。

まるでシンデレラみたいだった。

 

私は披露宴の入場シーンから

「R可愛いーー!!!シンデレラみたーい!!!( ;∀;)」

としきりに繰り返しながらビデオ撮影していた。

 

新居は奈良の少し都会から外れたのどかな一軒家。

周りはとても落ち着いた田んぼのある静かな環境。

 

自宅から少し遠かったが、私はRのうちによくバイオリンを持って遊びに行った。

長女のKちゃんが産まれた時も、

Kちゃんが大きくなっておしゃべりできるようになった時も、遊びに行ってKちゃんとも仲良くなった。

赤ちゃんの時は、人見知りでギャン泣きしていたKちゃん。

訪れるたびに、目を見張る成長ぶりでいつしかあかちゃんから小さな女の子になっていった。

まだ結婚もしていなくて子供もいない、親戚の中でも私が一番年下で小さい子供の相手を全くしたことがない私は手探りでの拙いKちゃんとの遊びだったが、

Kちゃんは今でも私のことを覚えてくれているらしい。

長男のH君が産まれた時も、H君がハイハイしている時のことを覚えている。

長女のKちゃんは人見知りで泣きっぱなしだったが、

おねえちゃんが大好きでおねえちゃんの後をハイハイで追いかけるH君は、

おねえちゃんが私と仲良くしているのを見て私にも笑顔でハイハイしてきてくれたことが、すごくうれしかった。

Rの旦那様は訪問時在宅されてて、一緒に昼食を食べたり談笑したりと親しくさせていただいた。

一件穏やかで無口で女性同士の会話をニコニコ無言で聞いているイメージの雰囲気なのだが、

おしゃべりでRと私の会話に結構思い切った突っ込みをいれてくれるおもしろい旦那様www

Rと旦那様の落ち着いたやり取りもとても心地よかった。

よくRの自宅から帰り道、最寄り駅まで車で送っていただきいろいろ談笑したことをよく覚えている。

 

コロナ流行が原因でそれから全く訪れていないが、Rはもちろん、

KちゃんにもH君にもおもしろい旦那様にも、

また会いたいなぁとずっと思っていた。

 

 

「慣れない土地で、家からもなかなか出られなくて、しんどい時期だったから、toraが来てくれて、本当に嬉しかったよ。」

 

そういえば、遊びに行ったときにふと「なんで私はこんなところに(見知らぬ土地)にいるんだろう!ってホームシックになった」って言ってたな・・・

もちろん結婚して奈良のその家に住むことはRも納得してのことだっただろうけど、

それとは別になんのゆかりもない土地に、

そして人通りもおだやかで騒がしくないこの土地に引っ越して閉じこもっているRを想像した。

慣れない土地に慣れない育児や家事・・・

旦那様と付き合ってた頃にバレンタインで手作りの超堅いガトーショコラを渡していたRwww(旦那様は堅いねといいながらももちろん完食したらしい)

お料理も苦手そうだったRは途中で料理教室に通ったり努力していた。

おかげ?で私が遊びに行ったときは昼食においしい手料理を毎回出してくれた。

愛する旦那様との新居に愛する子供。

それとは別に本当にしんどくもあったんだな・・・

当時の私はそこまでRの気持ちをとらえられてなかったが、今手紙に書くくらいだから

表には出さなくてもしんどかったんだろう・・・

 

 

「いつもtoraにたくさん助けてもらっているから、toraがしんどい時はいつでも神戸に行くから、連絡してね」

 

私はRを助けた記憶がない。

いつも私の下手くそで身勝手な演奏の伴奏をはじめ、大学での寮生活やいろんなことで常に私はRに世話をかけ助けられてきた。

Rの家に遊びに行ったのは、単純にRに会いたかったからだ。

でも・・・思い返せばひとつだけRの気晴らしになったかもしれないことがあった。

実はRには長女のKちゃんの後、静かにお星さまになってしまった子がいた。

ちょうど私がRの家に遊びに通っている間のことだった。

Rにとってこれ以上ない悲しい出来事だったが、私の前ではいつものように振舞っていた。

その日もいつも通りRの旦那様に車で駅まで送ってもらっていた。

帰り間際に、何気に旦那様が

 

旦那様「Rが最近元気がなかったんですが、toraさんが遊びに来てくれてよかったです。」

 

私「? はい!また遊びに来ます!」

 

何かあったのかな?程度で私も鈍感な方なので全く気付かず、

その少し後に遊びに行ったときにRが自ら話してくれた。

 

いつものように練習部屋でピアノとバイオリンで合わせを楽しんでいた時だ。

ピアノの椅子に座りながらRは落ち着いた表情と口調で、

穏やかにお星さまになった子どものことを話してくれた。

 

私は予想していなかった驚きと、Rの深い悲しみを案じた。

一瞬なんて声をかけようか迷った。

 

『大丈夫!!また出来るよ!!』

・・ちがう。

そんな軽率な言葉じゃだめだ。。

 

慰めの言葉なんて・・・

同じ経験をしていない薄っぺらな私の言葉なんの慰めにもならない!!!!

 

私に出来ることは、経験もない創造力もない私が

お星さまになってしまった子どもを想像することじゃない。

今、目の前にいる私がよく知っている実在するRを大切に思っていることを伝えることしかできない!!

 

私「・・・Rの身体は大丈夫なの?」

 

R「・・うん」

 

私「Rの身体が大丈夫で本当によかった。」

 

 

全くもって大した言葉をかけることは出来なかった。

 

 

でもそんな私の行動がRの心に少しでも届いたなら、こんな光栄なことはない。

 

 

「toraがしんどそうで、ちょっと心配しています。」

 

スカイプで話した時に、夫の愚痴も全部ぶっちゃけた。

本当は結婚式に出席してお祝いしてくれた友人たちには申し訳なくて話せなかったし、

話してはいけないと思っていたが、

Rと話していると聞いてくれそうな気がして、話してしまったのだ。

Rに結婚式に出てくれた友人に話さないようにしようと思ってたと言ったら、

R「え?なんで??」

とあまり気にしていない様子だった。

大学の時からずっと変わらない。

私の気持ちがいっぱいになって弾丸トークが止まらないのをずっと聞いてくれた。

そしてちゃんと聞きながら自分の意見や感想も言ってくれた。

夫の失踪事件一回目で、お腹の長男と夫の帰らない自宅で「なんで!?なんで!?」と大声で泣き続けたときのエピソードも話した。

自分から話しておきながら、当時の気持ちが鮮明によみがえり泣きそうになるのを堪えてたら、

Rが我慢できずに涙ぐんで、そして泣いてくれた。

 

こんな話をしてRを泣かせた申し訳なさはあったが、

あの当時の孤独だった私の気持ちに時を経てRが同調してくれたことで当時の私は救われた。

 

「ちょっと心配だったので『tora労りセット』を送ります。

お茶でも飲んで休憩してね。

家事は可愛いもので気分を上げよう。

かわいいふきんを見つけたのでセットにします。

あとはお守り(笑)

 

お返し等は、不要です。

お互い ぼちぼち やりましょう。」

 

ぼちぼち

という言葉のチョイスが、いっぱいいっぱいになって疲弊してしまった私に対する「頑張りすぎないで、力を抜いて」というメッセージだと思うとその言葉を選んでくれたRに本当に感謝だ。

 

最後にまたパフェ食べに行こうね!絶対ね!と書かれていた。

 

Rの手紙は、私に対するやさしい気持ちで溢れていた。

Rの言葉は、私を優しく包み込んだ。

自分のことをこんなに大切に思ってくれているRの気持ちが嬉しくて嬉しくて涙が出た。

 

あ~。。

私は本当に周りの人たちに恵まれている。

母や姉をはじめ、友人もいつも私の側にいてくれて

私のバカみたいな愚痴や弾丸トークに耳を傾け、見守ってくれているのだ。

孤独だ孤独だと閉じこもることはない。

結婚したのだから、もう独身時代のように話せないなどと思うこともない。

 

こんな私と一緒にいてくれる友人に恐れず、今まで通り心を開いていこう。

 

こんな私にあきれず付き合ってくれている友人たちなのだから・・・

 

 

 

 

 

5月31日は、予想外に嬉しいことがもりだくさんの日だった。

 

なんだか心が軽くなった気がした。

 

全て吐き出して、受け止めてもらえて安心したのだ。

 

 

 

翌日は6月最初の日。

 

 

気分は最高!!!!!

 

 

母から譲ってもらった母が独身時代来ていたワンピースと麦わら帽子で子供たちとルンルンお散歩に出かけた!

 

今回、バセドウ病になってはじめてわかった。

 

私は予想外に

予想以上に弱かった。

 

 

でも、

どんなに無様に転んでも、

ちゃんと起き上がって前を向いて歩ける。

 

それがどんなにゆっくりで、小さな一歩だとしても

かならず歩いて行ける。

 

 

 

 

 

起き上がるのを手伝ってくれる人たちが周りにいるのだから。